江戸時代の幕末、欧米人は日本の子育てを見て驚いたといいます。
日本の教育は、世界的に見てもとても進んでいたからです。
ロシアのゴロブニンの手記には
「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない。」
と記されていたそうです。
江戸時代の家庭教育と子育て観
江戸時代は、母だけでなく父もが、両親ともに子どもをとにかく愛していました。
父親が子どもを抱いて町を歩き回るのは、ありふれた光景だったそうです。
江戸の子育ての基本は家庭教育であり、なかでも父親は子育ての全責任を負っていました。
子どもを一人前にすることが、家業につぐ重要事項と考えられていました。
それは、家康のこの発言からも見られます。
家臣の言葉を鵜呑みにして子を厳しく注意したり、子の考えを聞かずに頭ごなしに叱ったりすることが、父と子の仲良い関係を損ない、心の通じ合ったコミュニケーションを失わせる。
その結果、子どもが自暴自棄になり、命を失うところまで追いつめられることもある。
父親こそ、子どもとむつまじく、かざらない関係を注意深く作っていかなければいけない。
このように、父も母も、子の教育全般について強い関心がありました。
育児や教育について書かれた「子育ての書」も数多く出現しました。
特に貝原益軒の「和俗童子訓」は、今なお読み継がれている、当時大人気だった教育書です。
それほど子ども思いだった江戸時代の親でしたが。
江戸時代の子育て論に共通しているのは、
子を甘やかすことが批判され、教えの大切さが説かれている。
という点です。
幼いときから常に教え、苦労させる。
同時に親子の関係の根本には、親密な睦まじい感情がなければならない。
大人は子どもの話を楽しそうに聞き、子どもの遊びを共に楽しむ。
子どもかわいさに子の言うなりになる溺愛や、泣く子をなだめるため食べ物を与えたり子どもの喜ぶことを言ったりするその場しのぎの愛情は、「姑息の愛」といわれ、江戸時代を通して繰り返し批判されたそうです。
江戸時代の親子関係は、このように「仲良くも厳しく」という姿勢でした。
江戸時代の教育環境
江戸の子育て論では、親が子と一緒に励むことが奨励されましたが、それは教育環境を整えることの大事さを説くものでした。
親が励む姿を見て子が自然に見習うのを意図したものであり、ある程度の年齢になると、「直接教えたり叱ったりするのは良くない方法」とされ、批判されました。
代わりに「師につける」ことが良い方法とされていました。
日本では室町時代頃から、寺で僧侶が子どもに手習いを教える習慣があったそうです。
だから儒教の教えにもある「師につける」という考えは、江戸時代でもすんありと受け入れられましたた。
そして手習いの師(寺子屋の先生)は、武士の子でも庶民の子でも、親以外で最も親しい関係になる大人でした。
地域社会の大人たちも、子どもに読・書・算を教え、善い人に導いてくれる専門家として認めていたそうです。
また各藩は、藩の政治を担う優秀な人材を育てるために藩校を作っていました。
藩校は藩士の教育を主な目的としていましたが、庶民に門戸を開く藩校も多かったそうです。
18世紀後半になると、全国各地で手習所(寺子屋)が急増し、子どもたちは6,7歳になると通うのが当たり前だったようです。
そして読み書きそろばんを中心に学んでいました。
寺子屋より高等な学問を身につけたい人は、個人が経営する学問所でもある私塾に通いました。
藩校を修了した武士の子どもの中にも、さらに私塾で学ぶ者もいたそうです。
貧しい学生は、本を手紙で写す写本の仕事など働きながら学んでいました。
さらに商人たちも、この頃から奨学金制度を整えていたそうです。
このように教育機関が増えていくなか、特に江戸(東京)に住む家庭にとって、子どもの教育は重大な関心事でした。
読み書き算用を身につけておくのが有利であることを、親たちは身に染みて思い知らされていたからです。
「私塾・寺子屋番付」という塾カタログのようなものがあり、どこの先生に学ばしたらよいか悩む親の手引きになっていました。
ちなみにこの番付は、優劣を論じないなど、先生側にも十分な配慮がされていたそうです。
江戸時代の学問
江戸時代の学問とは、四書五経をはじめとする古典を読むことで人の道を学び、善い人になることでした。
そして家業に励む志を持つようになれば、子育ては成功とされていました。
そのためにも四書五経の前段階の、読み書きの習得は必要な第一歩目でした。
ただその前に。
江戸の寺子屋の先生は、しつけ、礼儀作法、一人前に育てることに厳しい目配りをしていました。
あくまでもしつけや礼儀を身につけた者だけが、読み書きを学ぶ資格があるとされていました。
文字の教育と非文字の教育は、不可分一体のものと考えられていたとうことです。
さて、当時の寺子屋は、どのようなシステムだったのでしょうか?
一斉授業ではなく、「集団個別」というイメージでした。
「個々に合わせてカリキュラムを決め、手本を与える」というものです。
ただ寺子屋情報ネットワークがあり、地域の特性を反映した教材もあったものの、教材はほぼ同一の形式だったそうです。
定期テストのようなものもありました。
これまでに覚えたことを清書していくというものでした。
勉強の方法としては、素読(そどく)が重視されていました。
素読とは、「意味は考えず、暗唱できるようになるまで音読する」ことです。
緒方洪庵の適塾では、初学者がオランダ語文法を習うとき、テキストの素読で頭に入れていたそうです。
そして理解できるようになると、原書の会読に加わる。
これは出席者が順に原書の解釈を述べ、質疑応答を重ね、議論するスタイルでした。
月6回行われ、進級するにつれ内容は高度になっていく。
そのような制度だったようです。
ところで、素読はそんなに効果があったのでしょうか?
「意味を考えず、ただただ音読するだけ」で、本当に身につくのでしょうか?
これには、旗本であった森山孝盛の記録が参考になります。
6歳で母から四書五経を習った。
意味はわからずもただお経を読むように覚えた。10歳を過ぎる頃には習い終えた。
おかげで本を好きになった。ただ子ども心には読みやすく書かれた本の方が面白く、その頃になると四書五経も忘れてしまった。
16歳になった時、四書五経を読み返してみると、少しも滞ることなく読めた。
習ったことのない難しい本でもスラスラ読めて、大体は意味も理解できた。勉強として強制されたわけでなく、ただ日々、母に教えられるままに四書五経を読んでいるうちに、いつのまにか本を読む力が身についていた。
毎日母から物語を話して聞かされているうちに、自然と本好きな子どもになっていた。
門前の小僧、習わぬ経を読む。
音読は意味を考えずとも効果あります。
実際にうちの塾でも、英語が苦手な中学生がいたら、まずは音読を徹底する。
そうすれば少しずつ良くなっていきます。
寺子屋のルール
多くの寺子屋で「習字中はいっさい足を崩してはならない」など、姿勢に厳しかったそうです。
勉強中は体を楽にしないことが、習わしでした。
ここに寺子屋の塾則の一例があります。
駿河の湯山文右衛門の寺子屋の塾則です。
・正座して畳に手をついて額をさげ心静かに一礼して来た順に着席しなさい。
・来客があった時は煙草盆と茶を出し、皆一緒に一礼しなさい。
・来客中は大声で素読しないようにしなさい。
・十歳以下の子どもはお茶当番をしなくてよい。十一歳から勤めなさい。
・素読を始めたら互いにおしゃべりをしてはならない。
・素読が終わったら線香二本が燃え尽きるまで必ず復唱しなさい。
・大便・小便を催した時はぞろぞろ行かないで一人ずつ行きなさい。
・断りなしに教場から出てはならない。
・休業は三月三日から九月九日まで。昼休みは遠くへ行かず近所で行儀よく休憩しなさい。
・友達は兄弟同様であるから仲良く互いに行儀を正し、末々まで親しく付き合いなさい。
・子ども同士の喧嘩・口論は皆本人が悪いから起こるのであるから親はいちいち取り上げてはならない。
・自分より素読の遅れたものに丁寧に親切に教えてあげなさい。
・十歳から下の子どもに日に一度は手を取って書き方を教えてあげなさい。
・お師匠さんと対面しないで帰る時は必ず挨拶してからにしなさい。家でも朝食・夕食の時は父母に向かって礼をしてから食事しなさい。
・朝寝坊しないで起きたら手水で顔を洗いまずお天道様を拝みご先祖様を拝みなさい。
・親類、縁者が訪ねて来た時は必ず応対しなさい。
・手習いが終わったら静かに墨をよく摺って落ち着いて清書に向かいなさい。
・清書が終わった者から一人ずつ提出して直しを受けなさい。
・右のように毎日読み聞かせ必ず礼儀をたしなまなければならない。
・天保15年の正月、これを定めた。
このように、何かといえば礼儀作法、しつけに口うるさかった先生でした。
それに対し、生徒はどのように感じていたのでしょうか?
「人生の師」と慕ったようです。
成長とともに生徒の思いが熱くなり、結びつきが強固になっていく。
生徒仲間は先生の死後、先生の徳をしのび恩に報いようと、顕彰碑や墓碑を建立することも多かったそうです。
まとめ
ここまで見た通り、江戸時代の教育は、
・小さい頃は、父も母も愛情たっぷりに育てる
・ある程度大きくなると、師に任せる
・親も師も、礼儀などを厳しく徹底しながらも愛情を注ぎ、堅い絆が生まれる
というものです。
そして、このような関係性の子育てを理想的と考える方は、今でも多いのではないでしょうか?
正直、僕が今亡くなっても、生徒さんに顕彰碑や墓碑を建ててもらえる自信はありません。。。
世界的にも評価されていた江戸時代の教育を少しでも活用して、今の生徒さんたちにもっともっと役立てるよう努力していきたいと思いました!
参考文献
今回の記事を作成するにあたり、参考にした本です。
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